竹田昭彦日誌(#11)5月16日(水)


〈50回目の東海道を子どもたちと歩く〉

子どもたちも行進
 今日の行進は、藤沢市、茅ヶ崎市、平塚市です。
 思いがけない、突然の出会いがありました。行進が藤沢市役所を9時半に出発して、11時ころ、保育園児9人と先生2人が加わってきました。藤沢市ひまわり保育園(未認可園)の4歳と5歳児たちです。先生に聞きますと、園児の参加は初めてで、「行進するのを楽しみにしていた」と話します。小さな手には、9の字(憲法9条)をクレヨンで塗った団扇を持っています。
 最初のうちは、3人ずつ手をつないで歩いていましたが、なれてくると、ときどき手を離しだすようになりました。大型トラックも通るので、ハラハラしてきました。お巡りさんも、神経を使っています。先生に歩道へ移った方が安全ですよ、とすすめますと、「休憩場所まで一緒に歩きます」と言い、「練習をしてきた」とも言います。案じて、横断幕を車の通る側へ縦にし、ガードしました。
子どもたちが作った団扇
 無事、休憩場所につくと、園児たちは、「やったあ」「やったあ」と喜んでいました。疲れをみせず、2q余り(45分)を完歩したのです。
 藤沢から平塚の東海道(国道1号線)は、第1回目の平和行進から歩いてきた道です。1958年、1人の僧侶のアイデアで、広島から東京へ歩きはじめた平和行進は、日本国民の心に響きました。終わってみれば、延べ100万人が参加したといわれます。神奈川から多摩川を越え、東京に入ったときは1万人規模になったそうです。その数年後には、全国で2000万人規模の平和行進に盛り上がります。国民5、6人に1人が参加したのです。どこでも、村長、町長、市長が先頭になり、学校の校庭で出発集会を開き、その村、町、市を行進したのです。
 その時期は、米国から押しつけられた「日米安全保障条約」に反対する国民の「安保反対運動」と重なります。当然、原爆反対と安保反対の課題が連携します。驚いた米国政府は、このまま日本の運動が進めば、世界中に原爆反対が大きく広がり、原爆を維持できなくなると恐怖したのです。米国は、日本政府と手を組んで、国民の原爆反対運動をぶち壊しにかかります。くさびを打ち込まれたのが、原爆反対運動に、安保反対運動を取り入れるのは「政治的偏向」であるでした。
 平和運動は「ねばり」であるといわれます。今年が50回目の行進です。先人たちの踏み固めてきた東海道の松並木を、未来を担う子どもたちと一緒に歩けた、素晴らしい1日でした。
 今日の行進参加者は120〜150人の隊列で、延べ300人を越えました。距離は15.5qです。沿道で、募金を持って待っていた人たちがありました。なお、毎日の募金の報告は、行進終了時に集計が間に合わず、割愛しています。