竹田昭彦日誌(34)7月30日(日)

〈子ども達も暑さに負けず行進〉

光市の県道22号線を行進
 今日の行進は、光市、田布施町、平生町です。
 光市は、終戦前日の1945年8月14日に空襲があり、多くの人が死にました。光海軍工廠があったため、米軍の空爆をうけたのです。日本が終戦日を早めていたならば、光市の空爆も、広島・長崎の原爆投下もなかったのです。
 光市の行進では、行き交う車の多くから手が振られ、行進者達への励ましとなりました。
横断幕とリレー旗を持って行進する子ども達
 田布施町と平生町の行進では、男の子が4人参加しました。年長の子がリレー旗を持ち、他の3人が横断幕を持ちました。
 行進ルートが最後の方になると、年少の子(未就学児)が、「まだか、まだか」と言い続けます。
 大人は、「もう少し、もう少し」と励まします。問答が繰り返されていると、平生町役場が見えてきました。
 子ども達は、足早になり、「着いた、着いた」と喜んでいました。子ども達は、横断幕とリレー旗を、最後まで持ち続けました。暑い中、歩いた実質時間は70分です。4人で、力を合わせたのがよかったようです。
 行進は、光市を15人前後で3.5�辧�田布施町と平生町を25人前後で4.5�卻發�ました。
 平生町役場では、被爆した5人の方が出迎えられました。
 各役場訪問では、日曜日にも関わらず、幹部職員が出迎えられ、激励と、すみやか署名、募金をいただきました。
 今日の夕食は、「沖縄を学び平和を語る会」の方々10人と、ご一緒させてもらいました。
 山口県東部地域の高校教諭を中心として、「家永教科書裁判」を契機に生まれた会です。すでに、月例の学習会を139回も続けています。80歳代の人や95歳の人も同席しておられ、たいへん驚きました。
 今月は、「光海軍工廠と光空襲」の戦跡フィールドワークを行い、来月は、台湾の「日本植民地統治50年」を調査する「平和の旅」に行くそうです。