竹田昭彦日誌(21)7月17日(月)
〈被爆された方が先頭で行進〉
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| 宇佐市長洲出張所前の出発式で挨拶する奥城山口県被団協会長(左から2人め) |
今日は、宇佐市と中津市の行進です。宇
佐市の行進では、大分県被団協(被爆者団体協議会)会長の奥城和海さんが参加され、先頭でリレー横断幕を持ち歩かれました。
広島と長崎に原子爆弾が落とされてから61年目になります。被爆した人達も61年目です。高齢となり、平和行進参加は厳しくなっています。それを押して参加されたのです。元気な足取りで、私は大きな励ましをもらいました。
被爆した人達の生きておられるうちに、核兵器廃絶を勝ち取るため、がんばります。
大津市の行進では、行進終了地点に、被団協のご婦人が待っておられ、ねぎらいの挨拶をいただきました。
戦没者の遺児である私の生活体験より、被爆者の生活体験は、はるかに厳しかったと思います。
出発式などで、私が挨拶するときには、戦争がもたらした悲惨な体験を、具体的に話すようにしているが、具体的に話そうとすると、その場面がよみがえり、胸が詰まってしまいます。そこを避けてしまうので、当たり障りのない話になってしまいます。被爆した人が、被爆したことを名乗り、人前で話すことは、本当にたいへんなことだと思います。
今日の行進は、午前中に宇佐市の長洲出張所(旧長洲町役場)周辺、宇佐公民館周辺、宇佐市役所から四日市までの3区間を、20人前後で延べ7�卻發�ました。
午後は、国道10号線の宇佐市と中津市堺の「飛永バス停」前で「宇佐→中津の引継式」をし、中津市民病院まで、15人前後で7.5�卻發�ました。
中津市内の10号線の行進は、行き交う車のスピードが速く、リレー横断幕が見えにくかったようです。
それで、余り手が振られなかった気がします |
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