竹田昭彦日誌(09)6月26日(日)

〈米国は自国民を核被害から守れない〉

米国ネバタ州のネバダ核実験場にて
=05年4月28日
核実験ミュージアムで原爆パネルを贈呈

沖縄県の平和行進が昨日終り、今日は鹿児島県への移動日です。
 朝、那覇港から7時発の沖縄〜奄美各島〜鹿児島定期航路に乗船し、夜の8時40分、下船地の鹿児島県奄美大島の名瀬港に着きました。
 今日は行進がないので、今年の4月から5月にかけ、NPT(核不拡散条約)再検討会議の国連要請行動で訪米した時、ネバタ州のネバダ核実験場を視察したことを書きます。
 米国は1952〜92年の40年間に、核実験を1,054回行いました。その内ネバダ州が935回です(100回は大気圏内)。ほかは、他州やビキニ環礁などです。ネバダで核実験が最も多かった年は、1962年のキューバ危機の時で、96回にもなります。4日に1回の割合です。
 視察したネバダ州の砂漠のテストサイトは、ラスベガスから直線的に80〜100kmです。大気圏内実験の時は、ラスベガスの屋上のビアガーデンでジョッキを片手に見学していたそうです。ビックリしたのは、実験場から30km位の所に核実験を見学するスタンドが造られ、学校の先生が生徒を引率して見学し、爆発の閃光を見て万歳していたそうです。一般の人々も見学スタンドへ招待され、「核兵器の偉大さ」「米国の威信」に酔っていたといいます。結果は、放射能に汚染され癌で死亡するなど、大きな問題になっています。
 軍隊も、溝にしゃがんで隠れた場合、どの程度被爆するか、人体実験をされました。ラスベガスの「核実験ミュージアム」では、人体実験された兵士たちが、放射能汚染することも知らされず、爆発すると溝から出てきてキノコ雲に万歳している映画を見ました。テストサイトから200km離れた東側のユタ州住民にも被害を与え、爆風による壊れた窓の補償や、放射能による癌で死亡する問題が起きています。
 米国は、核兵器の被害の恐ろしさを自国民に知らせず、自国民の生活と安全さえ守らないことを知りました。視察した場所(写真)から、2マイル離れた所でも実験をしていたのです。放射能に汚染された、核実験に伴う関連廃棄物の保管場所が大きな問題になっていました。他国を侵略する国は、自国民の安全も命も守れないのです。

 * 核実験ミュージアム見学では、ミュージアムの方との交流懇談会があり、原爆パネルを示して被曝の実相の訴え、ミュージアムでのパネル要請をしました。