竹田昭彦日誌(08)6月25日(土)

〈平和行進が青年の飛躍を育む〉

 沖縄の平和行進は、19日(日)に名護市の辺野古を出発して、今日(25日)、糸満市の「魂魄の塔」で7日間の日程が終わりました。「魂魄の塔」は、糸満市の米須にあり、沖縄で最初に建立された慰霊塔だと聞きました。沖縄で最大の激戦地になった糸満市の摩文仁の丘一帯は、多くの人々が殺され、遺体が散乱していたそうです。
 戦後、沖縄の他の地域で、土地や家が米軍の基地建設で奪われ、追い出された人々が摩文仁の丘に移住し、白骨化した遺体を拾い集めて作った慰霊塔が「魂魄の塔」です。身元をたよる手だてがない無名の人々が沢山眠っています。沖縄の人たちが、一番訪れるのが「魂魄の塔」です。沖縄の平和行進の最終地点にふさわしい所です。
 摩文仁の丘の慰霊塔にも色々あり、沖縄戦で亡くなった人々を「英霊」として祭り、日本が起こした侵略戦争を美化する文字を刻んだ塔も少なくありません。
サトウキビ畑のある摩文仁の丘を先頭で行く青年(左から玉城、前田、中尾、丸田、島根の皆さん)

 7日間の平和行進を振り返ってみると、寝食を共にした5名の青年通し行進者たちの飛躍をつぶさに見る、強烈な日々でした。若い人の秘めたエネルギーと、飛躍の早さを知らされました。青年の一人は、疲労から右膝を痛め、膝が屈伸しなくなりました。しかし、皆の心配を振り切り、最後まで平和行進のリレー横断幕を離さず、引きずった足で後半の4日間歩き通しました。その後ろを、終始歩いていた私は、痛みが重傷にならなければ良いな、と内心ハラハラしていました。
 5名の青年たちは、行進2日目頃から連携して先頭に立ち、手を振り・声を出し、行進をリードするようになりました。日増しに飛躍する素晴らしい行進でした。沿道の人々から行進団へ手を振られる励ましや、青年を支えた職場や地域の人たちの温かいまなざしがあってのことと思います。
 今日の行進は、糸満市庁舎前から市長さんの激励の挨拶でスタートし、糸満街道を南上、真壁、米須を通り、「魂魄(こんぱく)の塔」迄でした。参加者は、終始80名〜90名でした。2か所の署名行動で、署名272筆、募金4540円をいただきました。行進距離は、9.5kmでした。
 7日間の延べ数は、参加者970名、署名1,480筆、募金59,715円、行進距離86.5kmでした。
 沖縄県民の皆さま、行進された皆さま、たいへんお世話になりありがとうございました。