竹田昭彦日誌(42)8月8日(日)

再び長崎平和祈念像前で黙とう

朝の5時、30人ほどのランナーたちと一緒に、夜明け前の福岡平和台競技場前からスタートしました。マラソンコースは、スピードの早いランナーが少数精鋭で走る区間と、数十人のランナーが集団や隊列を組んで走る区間に分けてあります。集団や隊列を組んで走る区間は、参加者の多い地域やイベントのある役所の前後などです。今日は、スタートしてから2劼泙任、集団で走る区間の一つでした。3日目の福岡→長崎コースが、最長の180劼任后
昼過ぎには、路上の温度表示計が、37℃を示しました。これまで見た最高です。路上に立っているだけで、クラクラしそうです。給水が大切なので、2卅宛紊隆岾屬妊汽檗璽しました。ランナーたちに、遠方から給水位置が分かるよう、見通しの良い場所に立ち、目立つようにピンクの帽子を振って合図しました。好評でした。冷水を頭からかけるのが、何よりです。
長崎市へ入る難所が「間野瀬峠」です。私も意を決し、頂上までの3匐茣屬鯀り切りました。箱根大学駅伝の5区の上りと同じようでした。峠を4劼曚媛爾襪般渦箸両側に見え、人々が家から出てこられ、あるいは窓から、手を振って歓迎と激励をされました。長崎に来た実感が、こみ上げてきました。
折り鶴を持って平和祈念像へ向かう
平和公園が近づくと、同行の子どもたちを先頭にして、託された折り鶴を持って平和祈念像へ続く坂道を上りました。
夕方6時40分、約60名のランナーたちが平和祈念像前に整列し、原爆被災者の霊に黙とうを捧げました
ここから、広島へ向かって出発(6月29日)したのが、昨日のように思い出され、涙が出てきました。
これで、掲載いただいた〈竹田昭彦日誌〉は、終わります。中央実行委員会及び原水協本部の皆さん、たいへんお世話になり、誠にありがとうございました。