再び長崎平和祈念像前で黙とう
朝の5時、30人ほどのランナーたちと一緒に、夜明け前の福岡平和台競技場前からスタートしました。マラソンコースは、スピードの早いランナーが少数精鋭で走る区間と、数十人のランナーが集団や隊列を組んで走る区間に分けてあります。集団や隊列を組んで走る区間は、参加者の多い地域やイベントのある役所の前後などです。今日は、スタートしてから2㎞までが、集団で走る区間の一つでした。3日目の福岡→長崎コースが、最長の180㎞です。昼過ぎには、路上の温度表示計が、37℃を示しました。これまで見た最高です。路上に立っているだけで、クラクラしそうです。給水が大切なので、2㎞前後の間隔でサポートしました。ランナーたちに、遠方から給水位置が分かるよう、見通しの良い場所に立ち、目立つようにピンクの帽子を振って合図しました。好評でした。冷水を頭からかけるのが、何よりです。
長崎市へ入る難所が「間野瀬峠」です。私も意を決し、頂上までの3㎞区間を走り切りました。箱根大学駅伝の5区の上りと同じようでした。峠を4㎞ほど下ると民家が両側に見え、人々が家から出てこられ、あるいは窓から、手を振って歓迎と激励をされました。長崎に来た実感が、こみ上げてきました。
折り鶴を持って平和祈念像へ向かう |
夕方6時40分、約60名のランナーたちが平和祈念像前に整列し、原爆被災者の霊に黙とうを捧げました。
ここから、広島へ向かって出発(6月29日)したのが、昨日のように思い出され、涙が出てきました。
これで、掲載いただいた〈竹田昭彦日誌〉は、終わります。中央実行委員会及び原水協本部の皆さん、たいへんお世話になり、誠にありがとうございました。