竹田昭彦日誌(#42)6月15日(土)

〈秋田県から山形県へ引き継ぐ〉

十文字町役場の「非核平和宣言」看板

 秋田県から山形県に引き継ぐ日です。
 12時50分、湯沢市の「雄勝教育会館」から、4人で宣伝カーに乗り山形県へ向かいました。市内の途中3ヶ所で宣伝カーを止め、街頭から訴えました。人通りはなく、建物に向かって話すようです。
 農協の前で話したとき、爆弾焼きのおじさんがおりました。終わりに、迷惑だったと思い、ビラを持って挨拶すると、「持って行け」と言われ、爆弾焼きを1袋いただきました。私の遺児の話しを聞いていたからだと思い、うれしかったです。
 午後3時半、山形県側の奥羽本線・及位駅前で、秋田県から山形県への引き継ぎ式が開かれました。式は、両県の代表者の参加だけで行われました。
 私の挨拶は、秋田県を無事に行進したできたことに感謝し、山形県でもがんばる決意を話しました。
 宣伝カーがかわり、国道13号線の山間部を走り、新庄市「新庄市民文化会館」をめざします。山麓から、日暮蝉の鳴き声が「カナ、カナ〜」と聞こえます。今年聞く初音です。
 午後5時40分、「新庄市民文化会館」前で、山形県の出発集会が開かれました。
 私の両親の出身地は、山形県です。私は出生は東京ですが、戦争疎開で、4歳から18歳まで山形県で育ちました。故郷を行進できると思うと、出発の挨拶に力が入りました。
 午後6時、山形県第1歩の行進がスタートしました。あいにくのどしゃ降りとなったが、勇んで歩きました。行進は、新庄駅前などの市街地をまわり、出発地点に戻って終了しました。
 今日の行進は、山形県側を20人参加で3卻發ました。
 これまで歩いた秋田県の合計は、27劼任后複況遑呼を含む)。