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スタート前に勢揃いの救援隊員
=17/01/29 |
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トウモロコシを持ったキャット仮装の女性とパチリ
=17/01/29、23㎞過ぎ |
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28㎞頃から一緒に走ったタイのランナーと筆者(左)
=17/01/29、38㎞過ぎ(タイのランナーより提供) |
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一緒に走ったタイのランナーとゴール
=17/01/29、(タイのランナーより提供) |
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バンコックの王宮。右側の3頭のゾウの像は第9代国王の在位60周年記念(2006年)で建立
=17/01/29 |
2017年1月29日(日)、タイ国の第14回コーンケーンマラソンを走りました。
コーンケーン市は、タイの東北部に位置し、学園都市と呼ばれています。昨年走ったチェンマイ市の東側で、気候は似ていました
マラソン大会の主幹は、コーンケーン大学で、スタート・ゴールが大学のコンベンションホール前でした。
フルの部のスタートは、夜明け前の4時15分で、参加者は約1700人です。
早めにスタートラインへ行くと、ランナーを救護する隊員たちが、写真撮影をしていました。私は、初めて見る光景でした。任務感がストレートに伝わり、たいへん心強く思いました。
コース案内図には、医療テントが20ヶ所も図示され、2㎞毎の給水所と同じような配置でした。こんなに沢山あるのを、他に例を知りません。
走ってみると、救護隊員が風船に赤十字のマークを付けて走っていたり、AED(自動体外式除細動器)を背負った自転車の人もおりました。
15㎞過ぎで、後方を一人旅していると、走って追いついてきた若い女性隊員から、マッサージを勧められました。
18㎞手前の救護テント前では、隊員が配っている物を受け取り、口に入れると、異様な味と臭いで、つまみ出しました。それを見ていたスタッフたちが爆笑です。
飴や、菓子では無かったのです。
ゴール後に知ると、ボール状の綿にアンモニア水を浸した物で、それを、鼻でかいだり、足や手に塗り、疲労回復を「味わう」刺激剤でした。これも、初めて知る体験でした。
他の大会で、友人が、小さなカップに入れた消炎剤の軟膏を、アイスクリームだと思い、口に入れた失敗談を思いだしました。「ところ変われば品変わる」です。
また、中間を過ぎて追いついた、トウモロコシを持った仮装(キャット風)の女性は、スマホで自撮りし、メールしていました。私とも、撮りたいというので、撮りっこしました。
彼女は500mくらい走ると自撮りし、それを繰り返していました。スマホが普及した、今風の走りでしょうか・・・
それにしても、トウモロコシは、何の物語があったのでしょうか・・・
私も、30余年前には、アマチュア-無線のコールサインをプリントしたTシャッツを着て走りました。42㎞を走っている体験を、無線仲間へ、伝えたいと思ったからです。しかし、当時は無線機が重く、持って走るには無理で、通信は実現せずに終わりました。
28㎞を過ぎると、スタート後の3㎞ころで、私へ声をかけて追い越して行った地元の2人組に追いつきました。
2人は、私を覚えていたようで、ビックリしていました。その後は、3人で一緒に走りました。
大学の構内へ向かう35㎞過ぎで、2人はペースを上げました。引き離されたが、差が20m以上に開かず、2人のハイペースは持続しませんでした。
私が追いつき、前へ出る余力があったので、3人で一緒にゴールしたいと話しかけました。そして、ゼッケン「65 045」(65は65歳以上)のペースに合わせ、ゴールを目指しました。
ゴールのアーチが見え、3人で繋いだ手を高々と上げ、感動のゴールを踏みました。
3人で走ってきた途中では、手持ちの塩飴やゼリーのなどの交換もあり、こころ温まる大会でした。写真も、メールで送って貰いました。
ゴールのタイムは、2㎞を19分台のイーブンペースで走れたこともあり、6時間55分19秒でした。
なお、コースは、寺院や湖のほとり、商店街、田園地帯なども巡り、2号線(AH12;アジアファイウエイの一部)や市街地の環状ファイウエイも走ります。アップダウンは立体交差程度で、ほぼ平坦なコースでした。交通規制も、ほぼ支障なく、警察官はランナー優先で通されました。
帰路、バンコックに1泊し、市の中心部の王宮や寺院を見学しました。王宮見学は、第9代国王の死去にともない内部へ入れませんでしたが、外側を巡り弔意を表しました。
市内見学で興味を持ったのは、国防省の建物でした。場所は王宮の前にあります。建築様式が、ロシアのサンクトペテルブルグの旧海軍省に似ていたからです。外壁の黄色や窓枠、棟の四角形の配置などです。ガイドさんに聞くと、ロシアと交流があり、影響を受けていたそうです。
そういえば、バンコク空港のWi-Fi設定案内にも、ロシア語の選択肢がありました。ロシアからの観光客も、多いそうです。 |