反核平和マラソン(番外)

被爆50周年記念・反核平和マラソン

東京~長崎1500㌔ (#番外)10月10日(土)

フランスの核実験に抗議

久保山愛吉さんの墓碑かけたフランスの核実験反対ハチマキ=1995/7/30、焼津市高徳寺
フランス大使館に投函した抗議文
=1995/10/07、東京都中央区
反核平和マラソン広島~長崎500㎞に参加のフランスのランナー=1996/8/11、横浜市
反核平和マラソン広島~長崎500㎞に参加レコロック チエリさん(右)とフランスから日本へリレーする反核平和マラソンを話し合う竹田=1996/8/11、横浜市
 長崎から帰宅した後の10月7日(土)、東京のフランス大使館へ行き、フランスの核実験反対と核兵器廃絶のゼッケンを付け、「フランスの核実験禁止を求める抗議行動をしました。
 反核平和マラソン東京~長崎1500㎞に参加した関係者の呼びかけです。
 その東京~長崎1500㎞の時は,「フランスの核実験反対」をハチマキにして走っていました。
 フランス大使館では、抗議文の受取りを拒否したので、その周囲約1㎞をマラソンスタイルで21周走り、1周毎に、第何回目と記入した抗議文を大使館のポストへ投函しました。
 大使館側は、抗議文の直接受取りを拒否したが、ポストに入れるのはOKしたからです。それで、抗議文を21回(枚)投函した訳です。
 21回も頑張ったのは、走った距離がハーフマラソンの距離になると思ったからです。
 抗議の回数を重ねていると、抗議の座込みをしていた若者たちから、激励の差し入れを頂きました。
 そして、警備の日本の警察官から「何回目ですか」、などとの声がかかりました。国会などへの抗議行動に対しては、威圧的な対応をする警察官ですが、それを感じませんでした。
 帰る時には、大使館の受付の人に、フランスがまた核実験をしたら、そのときは42回(フルマラソンの距離42.195㎞)抗議すると話しました。

   後日談 仏・日を継ぐ

 1996年8月に「フランス労働者スポーツ・体育連盟」(FSGT)の代表4人が、広島~長崎の「反核平和マラソン500㎞」に参加しました。
 私は一緒に走りませんでしたが、後日に横浜市で開かれた「連帯と交流の夕べ」に出席しました。
 その席で、フランスにも「反核平和マラソン」を広げるため、フランスのノルマンディーのセーヌ湾海岸をスタートし、パリまで走り、そして日本へ飛び、東京~長崎を走ろうではないか、と呼びかけました。
 団員のレコロック チエリさんは、ノルマンディー近くのコーという町に住んでおり、コースに当る地域の地図を書いてくれました。セーヌ湾からパリまでは200㎞位で、実現の可能性のあると話しました。いつの日か、実現したいものす。
 1998年には、パキスタンとインドが核実験を強行しました。核兵器を持ち、その核兵器の「威力」で内外の政治をすすめようとする為政者の国がある限り、核兵器のない平和な世界は実現できないと思います。
 核兵器を先に持った国の核兵器は「善い」が、後から持った国は「悪い」などの二重基準も成り立たないと思います。
 核兵器は、いかなる国も、つくらず、使わず、貯蔵せず、廃絶するのが確実な平和への道筋です。
 この道筋を押し進めるちからは、各国国民の核兵器廃絶の運動の高まりにかかっていると思います。
 今後、マラソンとのかかわりで、核兵器廃絶の運動を考えている一つには、シルクロードを走りながら反核平和を訴えることです。
 奈良の正倉院をスタートし、博多、朝鮮、中国、中央アジア、コーカサス、トルコ、ギリシャ、そしてイタリアのローマへと続く道です。
*現実的には、加齢とともに基礎体力が半減し、ユメは限りなく遠くなりました。


   2020年“福島~長崎2000㎞”企画中!

 2017年7月に核兵器禁止条約が国連で採択された成果、2018年6月に米朝会談がはじまった北東アジアの動き、そして福島の原発事故から発展した原発ゼロ運動など、核兵器廃絶を願う世界の運動は大きく前進していると思います。
 新日本スポーツ連盟では、被爆75周年の2020年に「反核平和マラソン・福島~長崎2000㎞」を企画中です。みなさんが、一人でも多く参加されますよう願っています。

 たいへん遅くなりましたが、1995年の体験を思い起こし、その様子を書きました。
 今後の参考になりますなら、嬉しく思います。
                            2019年4月14日
                                       竹田 昭彦 
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