鉄原DMZマラソン

第11回 鉄原DMZマラソンを走る(1)

竹田 昭彦
「戦争のない世界」をアピールする佐藤好行さん(左)と筆者マラソンコース19q付近の国道3号線は21q近くでDMZにぶつかり中断されていた。その周辺が丹頂Iの飛来地で、丹頂鶴館やモノレール付の平和展望台などがある
=2014/9/28、韓国のランナー提供
北へ向かう京元線が中断された線路
=2014/9/26、韓国最北端の白馬高地駅
民間統制地域に広がる稲田と白山高地(奥の山)。山の背後が38度線。白馬高地は朝鮮戦争の激戦地で2万人が戦没
=2014/9/26、白馬高地駅近くの「白山高地戦跡碑公園」展望台より
 2014年9月28日(日)、韓国で開かれた第11回鉄原DMZ国際平和マラソン大会に参加しました。
 DMZ(DeMilitarized Zone)とは、非武装地帯を意味し、このマラソンで走る韓国と北朝鮮の軍事境界線(38度線地域)をさします。
 鉄原(チョルウォン)市は、韓国北東部の江原(カンウォン)道で、韓国北部の中央に位置する都市です。
 38度線のDMZは、軍事境界線から韓国側に2q、北朝鮮側に2qの計4q幅になっています。ここには、入れません。
 そして韓国は、DMZの外側に数q南下し、民統線(民間統制線)をしき、その地域に韓国軍が駐留しています。民間人は、普通に入れません。ただし、その地域で農業など営むことが出来ますので、農業従事者は軍の許可を得て入出します。そして、観光客なども、軍の許可を得て入れるようになっていました。いずれも、昼間だけです。
 私たちランナーは、ゼッケンを見せるだけで、ゲート通過がOKでした(ハーフや10qなどコースは民統線に入らない)。
 スタート・ゴールは市街地で、民統線に入ってDMZ周辺を走るのは、マラソンコース14q過ぎから26qころ迄でした。
 民統線沿いや、コース両側の林などには、有刺鉄線が張られ「地雷注意」の三角旗がある所や、路肩に銃を持った軍人が立っていたり、DMZに接近した所は撮影禁止でした。林に入って「用足しができないなあ」と、緊張する場面もありました(仮設トイレあり)。
 平地には、黄金色の稲穂が頭を垂れ、のどかな田園風景が広がっていました。鉄原周辺は、水が豊富で稲作に適し、韓国の穀倉地帯だそうです。お米は美味しく、マラソンの参加賞は米3sでした。
 湖や湿地があり、丹頂Iの飛来地で有名でした。それを見に来る観光客も多いそうです。DMZに人間が入らないので、動植物の楽園だそうです。
 フルマラソンの制限時間は5時間なので、9時のスタートより1時間早い8時のアーリーを許可して貰いました。
 走ってみると、5時間の制限を守らせる厳しさは全然なく、制限時間終了の午後2時を超えた3時過ぎまでゴールゲートを開き、自動計測をしており、完走メダルや食べ物を受け取りました。
 距離表示は1q毎に、給水は5qから2.5q毎にありました。制限時間が過ぎた40q地点(午後2時半通過)でも、給水があり、暖かい大会でした。制限5時間は、交通規制の時間のようです。
 私のゴールタイムは、6時間52分36秒でした。
 日本から一緒に行った川崎市の佐藤好行さんには、終始お世話になりました。
 マラソンでは、スタートからゴールまで御一緒されました。
 彼は、「戦争のない世界」の旗を持ち、多くのランナーから共感の声をかけられました。軍人が1列に並んだ応援団も、拍手やガッツポーズをしていました。韓国の皆さんの平和への思いが伝わってきました。
 38度線で分断され、軍事的な緊張をかかえながらも「南・北統一」を願う気持ちを強く知り、よいマラソン大会でした。
 ソウルから鉄原へは、鉄道で行きました。下車した駅が韓国最北端の駅と呼ばれる「白馬高地駅」(京元線)で、ホームの北端で線路が中断され、ここが終点でした。ホームの看板には、「鉄道中断点」「私たちは元の鉄道に戻りたい」と書いてありました(写真中)。
 戦争の悲惨に、胸を締め付けられ思いでした。
 本来、京元線は更に北へ進み、ロシア、ヨーロッパまでもつながる線路でした。16q過ぎで走った国道3号線も、北へ通る幹線です。
 大会の参加者(エントリー)は、フル808人、ハーフ1,783人、10q1,881人、5q1,181人、ウオーク628人、合計6,281人でした。
 今回のマラソンは、祖国統一を願う韓国の人達に、宿、送迎、ガイドなど、多大な援助を頂きました。
 そして、ソウルマラソンで長年お世話になった朴永石ソウルマラソンクラブ元会長と、帰路にソウルでお会いできました。
 皆さんに感謝、感謝です。
http://dmzrun.kr/
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