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青年の沖縄県内通し行進者。右から川満さん、金城さん、幸地面さん、勇川さん
=2018/06/05、金武町 |
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米軍戦闘機が墜落(1959年)した宮森小学校現場を見学=2018/06/05、うるま市石川 |
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平和行進団歓迎交流会
=2018/06/05、うるま市石川 |
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今日は、金武(きん)町、うるま市の行進です。
天気は、晴れで、手足の露出部が、日焼けしました。
9時、金武町の米軍海兵隊基地のキャンプハンセン第2ゲート前で、出発集会が開かれ、県内を通し行進する青年4人が紹介されました。
医療関係の職場で働く、川満研一さん(32歳)、金城一平さん(23歳)、幸地面雄矢さん(22歳)、勇川朝矢さん(23歳)です。世代を引き継ぐ4雄志で、行進の先頭を歩きます。たいへん心強く思いました。
川満さん、勇川さんには、昨日の辺野古出発から「国際青年リレー行進」のタスキを掛けて貰っています。
米軍の「海兵隊」とは、陸海空3軍を一つまとめた軍隊で、先制攻撃を任務とする「殴り込み部隊」と呼ばれています。
行進しながら基地の山並みを見ると、実弾演習で樹木が焼け、土肌も見えました。
誤射も多く、住宅地に飛んでくる事故がたびたび起きています。
第1ゲート前では、ワンポイント学習会があり、詳しく知ることができました。
午後4時、うるま市石川(旧石川市)の宮森小学校へ着きました。
1959年6月30日10時40分、米軍戦闘機が整備終了後のテスト飛行中に、墜落した同校の現場を見学しました。
エンジントラブルで、パイロットがパラシュートで脱出した後、住宅地に墜落し、跳ね上がって校舎に激突したのです。2時間目授業のミルク給食のときだったそうです。
生徒11人と、一般人6人が死亡しました。
戦闘機墜落の、最大事故と伝えていました。
校庭には、1999年に建立した「仲よし地蔵」がありました。碑文には、事故の状況と死亡した生徒名が刻まれてありました。
その後、一般人の死亡者名が追刻されたのは、2010年でした。犠牲関係者の衝撃は大きく、語らなかったからです。
60周年の来年には、地蔵の隣にモニュメントの姉弟の像を建立するそうです。
夜は、うるま市石川地域の人たちによる、平和行進団歓迎交流会を開いて頂きました。
手料理を頂きながら、歓迎交流会を10年前から続けていることや、今日の参加者全員の思いが、それぞれ語られ、時間を忘れるほどでした。
とくに、若い県内通し行進者4人に、大きな期待が寄せられました。
今日の行進距離は、6区間を60~50人で12.6㎞歩きました。
ワンポイント学習会は、4回ありました。 |
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