2014年 原水爆禁止 国民平和大行進  
竹田昭彦日誌(#29)・6月03日(火)
〈 外国人も署名 〉
外国人に署名を訴える(右)県内通し行進者の繁澤政典さん=知立市
伃佐美送信所のアース銅線で鋳造した「平和の鐘」の飛天=刈谷市・願行寺
 今日は、知立市、刈谷市の行進と市役所訪問です。
 天気は晴れですが、薄曇がかかりました。
 9時5分、行進の代表団が知立市役所を訪問し、副市長とお会いしました。 私も同席して、市の平和行政をききました。
 「原爆と人間展」を、毎年3回開催しているとのことです。
 今年は、5/29~6/5、8/1~8/15、11月中旬です。
 市役所に着いたとき、玄関を入ったホールで展示しているのを見ました。
 年に3回も開催する自治体を知り、心づよく思いました。
 9時30分、出発集会が開かれ、副市長と議長から激励の挨拶を頂き、行進へ移ると、副市長が行進に参加して400㍍ほど歩きました。
 昨日の安城市の副市長に続く参加で、心づよく思いました。
 知立市の行進では、外国人の居住者が多く、署名隊の人たちが外国人にも積極的に平和行進の意味を話し、署名を頂いています。
 トヨタ自動車の関連工場で働いている人が多いようです。
 今日の全体の署名中、16筆が外国人でした。
 午後2時20分、刈谷市の願行寺に着きました。
 寺には、近くにあった伃佐美送信所でアンテナの鉄塔に触れ、誘導感電死(1975年)した少年(小学2年生)を供養した「受難の像」があり、お参りしました。
 この送信所は、戦後米軍に接収され、米海軍の送信基地になっていました。
 少年の死亡を契機に、基地返還運動が広がりました。
 基地は返還され、現在は公園となり、一部は伃佐美送信所記念館となっています。
 行願寺後の行進で、送信所跡を見学し、地元の人から送信基地の役割や返還運動の説明を受けました。 
 伃佐美送信基地の返還運動には、願行寺の住職さんが大きな役割を果たしました。
 願行寺の鐘楼には、通信設備のアース線を溶解し、鋳造した「平和の鐘」があります。
 その鐘の一面に飛天が画かれています。
  参照 http://takeda-a.net/07-6-03.html
 午後4時30分、終点の刈谷市役所が近づくと、市役所の総務部長の出迎えを受け、そこから行進に参加されました。
 自治体の幹部が、役所へ着く前に行進に参加されたのは、初めての体験で、ビックリしました。
 到着の歓迎集会では、そのことを話し、敬意を表しました。
 今日の行進は、参加者が70人前後で、歩いた距離は12.5㎞です。
 延べ参加者は、180人と報告がありました。
 沿道募金は23,129円、沿道署名は218筆を頂きました。
             
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