今日は、知立市、刈谷市の行進と市役所訪問です。
天気は晴れですが、薄曇がかかりました。 |
9時5分、行進の代表団が知立市役所を訪問し、副市長とお会いしました。 私も同席して、市の平和行政をききました。
「原爆と人間展」を、毎年3回開催しているとのことです。
今年は、5/29~6/5、8/1~8/15、11月中旬です。
市役所に着いたとき、玄関を入ったホールで展示しているのを見ました。
年に3回も開催する自治体を知り、心づよく思いました。 |
9時30分、出発集会が開かれ、副市長と議長から激励の挨拶を頂き、行進へ移ると、副市長が行進に参加して400㍍ほど歩きました。
昨日の安城市の副市長に続く参加で、心づよく思いました。 |
知立市の行進では、外国人の居住者が多く、署名隊の人たちが外国人にも積極的に平和行進の意味を話し、署名を頂いています。
トヨタ自動車の関連工場で働いている人が多いようです。
今日の全体の署名中、16筆が外国人でした。 |
午後2時20分、刈谷市の願行寺に着きました。
寺には、近くにあった伃佐美送信所でアンテナの鉄塔に触れ、誘導感電死(1975年)した少年(小学2年生)を供養した「受難の像」があり、お参りしました。
この送信所は、戦後米軍に接収され、米海軍の送信基地になっていました。
少年の死亡を契機に、基地返還運動が広がりました。
基地は返還され、現在は公園となり、一部は伃佐美送信所記念館となっています。
行願寺後の行進で、送信所跡を見学し、地元の人から送信基地の役割や返還運動の説明を受けました。 |
伃佐美送信基地の返還運動には、願行寺の住職さんが大きな役割を果たしました。
願行寺の鐘楼には、通信設備のアース線を溶解し、鋳造した「平和の鐘」があります。
その鐘の一面に飛天が画かれています。
参照 http://takeda-a.net/07-6-03.html |
午後4時30分、終点の刈谷市役所が近づくと、市役所の総務部長の出迎えを受け、そこから行進に参加されました。
自治体の幹部が、役所へ着く前に行進に参加されたのは、初めての体験で、ビックリしました。
到着の歓迎集会では、そのことを話し、敬意を表しました。 |
今日の行進は、参加者が70人前後で、歩いた距離は12.5㎞です。
延べ参加者は、180人と報告がありました。
沿道募金は23,129円、沿道署名は218筆を頂きました。 |