竹田昭彦日誌(#59)8月02日(金)
〈 千羽鶴を 広島平和公園に捧げる 〉
 広島市の安佐北区、安佐南区の行進と区役所訪問です。
 9時40分、安佐北区役所で、区長さんから激励の挨拶をいただき、ペナントをリレー横断幕に結んでもらい、行進がスタートしました。
 区役所職員20人の出迎えもいただき、「行ってきまーす」と手を振ると、大きくてが振られ、見送ってもらいました。 
津田診療所長のメッセージが看護師長(左)から披露される=広島市安佐北区
 10時10分、広島医療生協の津田診療所へ着くと、多くの職員の出迎をいただきました。
 折り紙で模様を画いた布に「平和に原発はいらない」の垂れ幕も目につきます。
 所長さんからのメッセージを、看護師長さんから披露され、激励をいただきました。
 津田診療所は、1913年に開業した津田医院が前身で、当時から「住民の立場に立った差別のない医療」をする医院として、地域住民と強い信頼関係で結ばれているそうです。100年の歴史です。
託された千羽鶴を広島平和記念公園に捧げる
 午後1時30分、安佐南区役所を訪問し、区長さんから激励の挨拶をいただき、ペナントをリレー横断幕に結んでもらい、今日の行進が終わりました。
 ここまで、昼食時間なしの行進でした。珍しいことです。
 午後の時間に余裕が出たので、託された千羽鶴を、広島平和記念公園の「原爆の子の像」に捧げました。
 島根県雲南市で、落部さんと石飛さんから託された千羽鶴と、昨日沿道で託された千羽鶴(写真の中央)を捧げました。
 写真上部の背景に見えるのが「原爆の子の像」の上の部分で、折り鶴を掲げた佐々木禎子さんの像です。
 2歳で被爆した佐々木禎子さんは、9年後の小学6年生のときに白血病が発症し、中学1年生でなくなりました。像は、禎子をモデルに、同級生などによる募金運動で作られました(1958年5月5日完成)。
 今日は、区間により参加者45〜25人で、約10qを歩きました。