竹田昭彦日誌(#12)6月16日(日)
〈 原爆碑 “平和の子ら” 像に感動! 〉
 津幡町と金沢市の行進です。
 雨は、昨日だけで、今日は晴天です。2、3日、雨天が続くと覚悟したが、変化が早いです。
 朝9時30分、津幡駅前で出発集会を開き、40分には行進が出発しました。
 津幡駅は、交通の要所です。北陸本線から別れて、七尾線が能登半島の和倉温泉まで走っています。
 北陸新幹線が開通すると、大阪からの特急が富山へ行かず、金沢止まりとなり、不便になる話を聞きました。
 大都市に人が集中して、地方が過疎化する方策を、たいへん心配していました。
行進出発前の記念撮影=JR北陸本線津幡駅前
 若い人の参加が多くあり、出発前に和やかな記念撮影をしました。
 行進コースは、北国街道(旧北陸道)を通るところが多くあり、金沢市に入ると、江戸時代藩政の参勤交代で通た下口往還と呼ばれた地域には、松並木が残ってありました。平和行進も長年、広島へ、長崎へ、歩き続けた道です。
 宣伝カーの声をきき、親子が窓から手を振られたり、家から出て来て手を振られたり、半世紀の歴史を感じました。
原爆碑「平和の子ら」像前で記念撮影=金沢市卯辰山玉兎ヶ丘
 午後は、金沢市卯辰山の玉兎ヶ丘に建立された、原爆碑「平和の子ら」像前で集会を開き、各人が行進参加の思いなどをリレートークしました。
 「平和の子ら」像は、被爆50年のときに県民の建立運動があり、『国の「平和祈念するための事業」として、国、石川県、金沢市の助成と県内自治体、被爆者、遺族、平和を願う多くの県民の募金により建立』(「原爆犠牲者追悼碑文」より)されました。
 市民や県民の運動と、国を含めた行政が連携した原爆碑の建立を、初めて知りました。
 被爆者の子どもをモデルに制作されたそうです。未来を見つめる表情が生き生きしており、躍動感を覚え感動しました。
 広島平和公園にある「平和の子の像」と姉妹だと言われます。
 台座前面の碑文が刻まれてありました。 
           忘れまい 広島・長崎を
           ふたたびつくるまい 被爆者を
            核のない平和な世界を 子どもらに
   「平和の子ら」の歌もつくられ、CD化されています。愛着のあるリズムと歌詞です。
 金沢へ来られたおりには、訪ねて見てください。
 今日の参加者は20人前後で、行進距離は8.8qです。