竹田昭彦日誌(#40)6月17日(日)
〈 捕虜の人権無視の悲劇 〉
 行進がない日で、名張市での学習会です。
青蓮寺で「平和への思いを語り合う集い」(左)耕野一仁住職
 午後2時、名張市の地蔵院青蓮寺で「平和への思いを語り合う集い」が、 名張市原水協主催で開かれ、参加しました。
 青蓮寺は、地名(旧青蓮寺村)にもなっており、1200年前に開いた古寺です。
 学習会は本堂で開かれ、耕野一仁住職さんから、1945年6月5日に神戸を空襲した米軍の爆撃機B29が、日本軍の戦闘機の攻撃で青蓮寺村に墜落し、11人が死亡したことや、福島原発事故などについて話されました。墜落したB29の破片が境内にも落ち、一部が保存してあり、見せてもらいました。ボーイング社名の入ったワイヤー操作用滑車の部品のようでした。
 旧青蓮寺村は100戸ほどの村で、太平洋戦争で36人が戦死しました。境内には戦死者の墓石と、本堂に遺景があり、戦争と関わりの深いことを知りました。
 私は、平和行進で知った日本政府の捕虜の処遇について、第1次世界大戦(参照、\08-5-12.html、 \08-5-14.html )と、第2次世界対戦(参照 \10-7-01.html )の違いなどについて話しました。
 参加者(総勢12人)からは、村の人たちが赤紙1枚で出兵していった様子と、その後の悲劇などが語られ、戦争をしてはいけないと話されれました。
「B29搭乗員十一名追悼碑」
 学習会後、B29が墜落した現場に行きました。青蓮寺近くの山中で、「B29搭乗員十一名追悼碑」がありました。碑は、2007年8月15日に青蓮寺の尽力で建立され、追碑に11の名前と「尊い命が犠牲となる過ちを犯さぬよう、日々平和をつなぐ努力を怠ってはならない」と刻んでありました。青蓮寺は、当時から敵味方に隔てなく供養をしてこられ、戦後60年を期に碑を建て、戦争してはいけないと後世に伝えています。
 搭乗員全員死亡の経過は、2人は直撃死、9人は落下傘で脱出した後に捕まり処刑されました。直撃死の1人は頭を逆さにして埋められ、捕まった9人は首切り、毒殺、銃殺などで処刑されました。
 軍国主義は、捕虜の人権などありません。日本軍にたいしても「捕虜になるなら自害ぜよ」と命令していたのです。