竹田昭彦日誌(#05)5月15日(木)
第13番大日寺〜17番井戸寺を訪問
第13番大日寺にて
 今日は、行進が直接ない日です。
 徳島県原水協事務局長の神野夫妻と霊場を訪問し、住職さんに署名をお願いすることにしました。訪問した霊場は、第13番大日寺、第14番常楽寺、第15番国分寺、第16番観音寺、第17番井戸寺です。各寺とも、住職さんは不在でした。納経所の方に署名の主旨を話し、住職さんへ伝えて頂くようお願いしました。
  鳴門市ドイツ館に移築さた俘虜収容所
 その後、12日の日誌に書いた鳴門市ドイツ館を見学しました。見学した第一印象は、鳴門市にあった坂東俘虜収容所のドイツ人との交流・友好の経緯を世界史的にとらえ、大規模に紹介していることに驚きました。ドイツの人たちが見学したなら、大いに感激するだろうと思います。日本の俘虜収容所を紹介する、これほど意味ある施設のあることを初めて知りました。
 なお、第一次世界大戦時は、日本も批准した、俘虜の措置を規定する「ハーグ陸戦条約」(1899年、改訂1907年)に基づき、ロシア人俘虜(日露戦争1904年)やドイツ人俘虜(青島の戦い1914年)に対応した経緯があります。規定は、生活費など日本兵と同じあつかいをすることです。
 しかし、その後になると「ハーグ陸戦条約」をさらに発展させた「ジュネーブ条約」(俘虜の待遇に関する条約1929年)を、日本は批准しませんでした。「ジュネーブ条約」は、俘虜の人権を守る大切さを強調したものです。
 そして日本は、宣戦布告もせず、太平洋戦争の仕掛けを「支那事変」(1937年)と称し、「戦争」ではなく「事変」だから俘虜は存在しないとみなし、俘虜や民間人を虐殺しながら侵略戦争を限りなく拡大しました。
 その兵隊に私の父もかり出され、死(1944年7月)にました。日本が起こした太平洋戦争で、日本人が310万人、アジア・太平洋地域の人が2千万人死にました。
 日本国民の人権すら認めなかった軍国主義は、俘虜の人権などありえませんでした。自国の日本人にたいし、日本軍は「俘虜になるなら自害せよ」と命令したほど、如実に物語っています。
 その反省の上にたって制定した憲法9条の重みを、いくら強調しても強調しきれません。
  * (2016年1月21日、加筆)
朝食の定食A:420円
 次は食事の話しです。食事の出ない宿なので、近所の食堂を利用しています。その店が、安くて美味しいのです。朝食は7時からで、定食Aが420円、Bが370円、Cが320円です。Cでも十分なボリュームです。その他一品料理が100円で、いろいろ組み合わせができます。昼・夜は定食がなく、自分でセットします。夕方は、高校生でにぎわっています。