竹田昭彦日誌(#70)7月17日(土)
西本あつしさんの墓を訪問

 今日は、伊勢崎市、桐生市の行進です。

 伊勢崎市作製の「核兵器廃絶」ウチワ
 伊勢崎市役所の出発集会では、市長さんの激励メッセージ(総務部長代読)と議長さんの激励の挨拶をいただきました。
 そして、同市が作製した「核兵器廃絶平和都市宣言」文を印刷したウチワをいただきました。
 そのウチワを、地元の行進者が沿道の人に渡していました。
記念撮影(右から)県内通し行進者の伊藤国夫さん、同じく坂爪セキさん、大賀弘吉さん、筆者=伊勢崎市役所
 伊勢崎市の行進では、、15年前(1995年)に「反核平和リレーマラソン・東京〜長崎1500キロ」コースのうち、大阪まで参加した大賀弘吉さん(70歳、伊勢崎市)と再会しました。当時を振り返りながら行進でき、懐かしいかったです。
西本あつしさんの墓=伊勢崎市国定町・養壽寺
 昼休み、伊勢崎市国定町の養壽寺にある、平和行進を最初にはじめた西本あつしさんの墓を訪問しました。
 西本さんは、1958年6月に広島の原爆記念碑前を出発し、8月に東京で開かれた第4回原水爆禁止世界大会へ向かって歩きました。1人の決断ではじめた平和行進が、神奈川県から多摩川を越え、東京へ入ると1万人の隊列になっていたそうです。
 その後、平和行進は全国へ急激に広がりました。2年後の1960年には、安保闘争とも連帯し、2千2百万人が参加しました。
 今日の当地の平和行進では、コースに西本さんのお墓訪問が入っていませんでので、昼休みの訪問をお願いした次第です。そのとき、私は「コースに取り入れた方が良いのでは」と話しました。これまでのコースを大巾に変更しないと、無理とのことでした。
 今日の行進では、参加者50〜30人前後で18.4km歩きました。