竹田昭彦日誌(#41)6月18日(金)
平和行進参加の動機を話し 涙する
 今日は、酒田市での職場訪問、街頭署名行動、行進です。 

職場訪問で平和行進の趣旨を話す=酒田市・健友会本間病院

 職場訪問でたずねた本間病院では、職員の研修会場で平和行進の趣旨を話しました。会場には、看護師さんなど大勢の職員がおられ、とくに若い女性がほとんどでした。
 私が平和行進に参加した動機付けの「弟は、お父さんが戦死してから生まれました」と話しますと、涙する職員の姿が見え、私も涙が出て声が詰まりました。
 1944年(昭和19年)ころから終戦にかけて生まれた子は、父が戦死してから生まれた子が多いのです。日本が起こした侵略戦争が末期状態となり、赤紙(軍隊への召集令状)1枚で召集される人が多くなり、出兵して間もなく戦死したからです。
 それも、後方支援がなくなり、餓死や病死が多かったのです。

平和行進歓迎夕食会

 夕方の平和行進終了後、歓迎夕食会が開かれました。酒田の平和行進の歴史が語られ、有意義に聞きました。
     
   1893年(明治26年)に建てられ、今も使われている米倉の「山居倉庫」=酒田市山居(さんきょ)町  
    酒田市は、山形県内を流れる最上川の河口にある都市で、最上川の航路と北前船の交易で発展してきました。山形の海の玄関と言われ、京文化の発信地でもありました。明治時代に建てられた米倉が、今も使われています。
 今日の行進では、参加者50人で1.5km歩きました。