2009年 原水爆禁止国民平和大行進
平和行進日誌
竹田昭彦日誌(#34)8月06日(木)
〈 原爆落下爆心地へ 無事到着 〉
 今日は、長崎市の行進です。
出発式で広島の原爆犠牲者に黙祷を捧げる=長崎市日見公園
 7月4日に広島市の平和公園から出発し、今日で34日目、最後の行進です。
 9時40分、出発式をした日見公園では、広島に落とされた原爆で亡くなった方々の冥福を祈り黙祷を捧げました。
松浦宣孝さんを先頭に日見トンネルを通る
 長崎市の中心街に入るには、日見峠(標高200m)を越えなければなりません。
 行進出発直後から、約3kmの坂を上った所が日見峠です。
 昔は、「西の箱根」と呼ばれた難所です。今回は、1926年(大正15年)に造った日見トンネル(640m)を通りました。
 炎天下の上りで、吹き出した汗がとまりません。
 トンネルを抜け、4kmほど下り、中心街に入りました。
 昼食休憩は、世界大会の会場になる長崎市民会館の所でした。
 午後の行進では、繁華街の名所「鉄橋」で、20分ほどとまって、街宣、署名、行進パンフの配布などをしました。ほとんどの通行人に、パンフを受け取ってもらいました。関心が高かったです。
集結式でお礼の挨拶をする筆者=長崎市爆心地
 午後4時20分、最終目的地の原爆「爆心地」に到着しました。
 5時から集結式が開かれ(参加者120人)、来賓の長崎原爆資料館長さんと、長崎県の被爆者代表の方から歓迎の言葉をいただきました。
 通し行進者各人が、無事、着いたことに感謝し、行進中の感激を披露、核兵器の廃絶に向けて更に頑張ることを誓いました。
 式には、佐賀県内を通し行進した秋山哲朗さんが見え、唐津名物の松露饅頭と唐津原爆被害者の会の記録集をいただきました。
 終了後、森さん、松浦さん、長崎県内の通し行進者の宮島茂吉さんなどと会食し、労をねぎらいました。
 宮島さんは、労山(日本勤労者山岳連盟)のメンバー、県内通し行進14回目のベテランです。
 私は、加齢とともに身体の不安もありましたが、無事、目的が達成でき嬉しかったです。
 ただし、堅い物を食べたことから、弱っていた前歯2本が欠けました。
 お世話になった皆さま、ありがとうございます。
 今日の行進距離は、参加者60人前後で14km歩きました。
 長崎県の行進距離総計は、82.5kmです。
 広島市の平和公園から、長崎市の爆心地までの行進距離合計は、494.5kmです。