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竹田昭彦日誌(#20)7月23日(木) |
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〈 被爆体験を話す 歓迎集会 〉 |
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今日は、福岡市東区と博多区の行進です。
12時45分、昨日の行進が終了した東区の浜男公園で、出発式が開かれました。
一昨日は豪雨にあい、昨日は皆既日食でした。今日は暑くなりそうです。
午後1時、行進に移ると、出発式のとき60人だった参加者は、さらに増え、80人を超えました。
車道を2列縦隊で行進する指示なので、隊列が100mにも長くなりました。交差点の青信号を1回で渡り切れません。分断された後続を、待ちながらの行進が、頻繁に続きました。
お巡りさんが付かない車道の行進は、最大の注意をしました。宣伝カーや隊列が、第1車線の左端に寄り過ぎると、第1車線と第2車線の間を通り抜ける車があり、危険性が増すからです。
先頭の宣伝カーと、後尾の救護車は、第1車線の左端ではなく、真ん中を通るようにお願いしました。 |
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商店街を携帯スピーカーで訴え行進=東区 |
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商店街の行進では、車が通れないので携帯スピーカーで訴えました。 |
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福岡市原爆被爆者の会の歓迎=福岡市・水上公園 |
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6時20分、終点の「水上公園」に無事着きました。天気も、さほど暑くならず、よかったです。
公園に入ると、「福岡市原爆被爆者の会」と書かれた折り鶴を図案化した旗を持つ、被爆者の方たちの出迎えをうけました。
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福岡県歓迎集会=福岡市・水上公園 |
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公園では、「国民大行進福岡県歓迎集会」が開かれました(参加者150人)。
来賓者挨拶のなかで、3人の方が被爆の話をされました。原爆が爆発した瞬間は、太陽が地球に落ちたかと思うような、火の玉と爆風だったそうです。
北九州市の門司から行進に参加し、私と一緒に長崎まで通し行進する体内被爆者の溝浦義則さん(63歳)が、挨拶のなかで初めて被爆体験を具体的に話しました。
小学生のとき、ABCC(米国の原爆傷害調査委員会)から、体内被爆の人体調査を追跡されたのです。
小学校生のときに、「被爆した生徒20人と普通の生徒20人が6年間に渡って知能比較検査をされた」、と話しました。
つらい体験を、人の前で話すことは、本当につらいことです。私は、涙して聞きました。
今日の行進距離は、区間により参加者75〜85人で16km歩きました。 |
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