竹田昭彦日誌(#81)8月02日(土)
全国唯一“かき氷の接待” 呉民商青年部
出発集会で挨拶する上田博則さん(右から3人目)=呉市役所
 今日は、呉市の行進と安芸実行委員会への引き継ぎです。
 9時40分からはじまった呉市役所前の出発集会では、第1回平和行進へ参加した上田博則さん(81歳)から激励の挨拶がありました。
 上田さんに、第1回平和行進の様子をお聞きしますと、呉市に入って来た西本あつしさんと二人で、川尻町(現呉市)まで歩いたそうです。その後は、西元さんが一人で歩いて行ったそうです。当時は、報道関係が発達していなかったので、なかなか伝わらなかったと話されました。
3コースのリレー横断幕が揃う(3列目が「北海道→東京コース」=呉市
 「北海道(太平洋)→東京コース」を通し行進した森悦子さん(東京都)が、私たちの行進コースへ、今日から参加されました。幹線コース三つのリレー横断幕が並びました。
  かき氷の旗が歓迎=呉市・天応支所前  
    午後の行進の休憩では、かき氷の接待がありました。提供は、呉民商青年部です。朝の出発集会で予告があり、楽しみにしていました。休憩の呉市天応支所へ着くと、入り口に「氷」の旗が揺れていました。写真を上手く撮れないでいると、すかさず、「氷」の旗を持ってくれた若い女性がありました。  
     
  かき氷に行列=呉市・天応支所前  
   紙カップに盛った茶金かき氷を2杯いただき、身体が冷え、満足しました。かき氷を作りながらの接待は、全国でも、呉だけでしょう。  
     
  坂町・小屋浦に建立された「原爆慰霊碑」   
   呉市から国道31号線で坂町へ入った小屋浦で、呉実行委員会からから安芸実行委員会に引き継ぎをしました。
 そのあと、小屋浦の「原爆慰霊碑」を訪ねました。訪ねるには、交通量の多い国道と踏切のないJR呉線を横断します。トンネルの近くで、とても危険でした。背後周辺は山です。そのように近づけず、目立たない場所でないと、原爆で死没した遺体から伝染病が発生するなどとの風説が信じられ、仕方がなかったようです。当初(1952年頃)は木で作った慰霊碑でしたが、1987年(昭和62年)に石碑に立て替えました。ここには、小屋浦へ運ばれてきた被爆者で、間もなく力つきた90余人が慰霊されています。名前が刻んでありました。
 
     
安芸原水協主催の歓迎夕食会に出された小イワシの刺身
 夜は、安芸原水協主催の歓迎夕食会に招かれました。自慢の料理は、今朝、広島湾で獲れた小イワシの刺身です。8皿作るのに2人で2時間かかったそうです。さばくのと、塩水でもみ洗いするの手間がかかるからです。7回洗い流せば、タイの味になるそうです。「8回洗うと何になるか」と、米山さんから質問が出て、「メデタイ」との応えでした。一同、美味に舌鼓を打ちました。
 今日の行進参加者は、35〜45人で13.5q歩きました。延べの参加者は70人と報告されました。呉市役所前の出発集会では、市長さんからのメッセージ(総務副部長代読)をいただきました。