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竹田昭彦日誌(#33)6月12日(木) |
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〈 「震洋特攻艇」の基地跡を見学 〉 |
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震洋特別特攻隊基地跡之碑と震洋格納壕(右の穴)=土佐清水市・越湾 |
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今日は、午後に土佐清水市訪問と市内の行進です。
土佐清水市には、四国南端の観光地の足摺岬があるほか、戦争の傷跡もあります。太平洋戦争末期の1945年2月、米軍の上陸に備えて土佐清水市の越湾に「震洋特別攻撃隊基地」がつくられました。震洋とは、ベニヤで造った2人乗りの特攻艇(長さ6.5m、幅2m、重量2.4t、時速約45q、)で、艇首に装填した250kgの爆薬とともに敵艦船に体当たりする自爆兵器です。現在、その震洋の格納庫が、戦争遺跡として保存してあります。壕は、越港岸の山裾に掘ってありました。この基地の震洋特攻隊員は、幸いにして出撃命令が出る前に終戦となり、よかったと思います。
震洋は、人間魚雷の回天や特攻隊爆撃機と同じく、人間を爆弾と同じ扱いにしたのです。 |
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平和行進終了式で「核兵器をなくそう!」を唱和する=土佐清水市 |
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市役所訪問では、市長さんから「原爆写真展」を産業際(12月)で実施したらどうか、との話しをいただきました。そして、段取りは「9条の会」がよいのではないかと、具体的に言われました。土佐清水市では、9条を支持する署名が市人口の過半数を超えています。また、市長さんは、平和行進を最初にはじめた西本あつしさんをご存知でした。市長さんのお父さんと西本さんは教員同士で、市長さん宅に泊ったことがあるそうです。2人で、うちわ太鼓を叩いていたと言います。
行進は、市街地の大型スパー店のところから、震洋の格納壕が見える越港の広場まで歩きました。終了したところで、司会者から「核兵器をなくそう!」などの唱和の提起がありました。参加者たちは手を天に振り上げ、元気よく唱和しました。今日の天気は、晴れでした。 |
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第38番金剛n宸フ平成大修理に寄進した「核兵器廃絶」の敷石 |
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霊場訪問は、足摺岬にある第38番金剛n宸ヨ行きました。住職さんがおられ、「すみやか」署名をいただきました。そして、ご朱印係りの方にもすすめられ、署名をいただきました。金剛n宸ナは、平成大修理の寄進を募っていました。敷石に「核兵器廃絶」と願い事を書き、寄進しました。
今日の参加者は約25人で、2.5q歩きました。土佐清水市長さんからは募金とペナントをいただきました。 |
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