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竹田昭彦日誌(#10)5月20日(火) |
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〈 愛称“ゆりかご”の平和祈念碑 〉 |
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阿南市役所の「平和祈念の塔」と「阿南市 民平和祈念碑」 |
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今日は阿南市へ行き、市役所を訪問して平和行政推進を要請し、その後市街地を行進しました。
阿南市は、2006年3月に那賀川町と羽ノ浦町を編入し、広域化した阿南市にかわりました。
阿南市は、旧阿南市のときから平和行政に力を入れています。「平和擁護非核都市の宣言」(1982年9月)は、徳島県で最も早い時期に採択しています。1987年には、市役所敷地の池に「平和祈念の塔」と船をイメージした碑(愛称ゆりかご)を建立しました。そこには、広島市と長崎市から寄贈された、被爆石も置かれています。
そして、被爆50周年の1995年には、「阿南市民平和祈念碑」を建てました。今年の2月には、平和市長会議に加盟しました。現在、県下の平和市長会議加盟は阿南と三好の2市だけです。 |
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阿南市長さんと議長さんからペナントを頂く=左から副議長さん、筆者、総務部長さん |
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市庁舎の応接室に案内されますと、市長さと議長さんは東京へ出張中とのことで、総務部長さんと副議長さんにお会いしました。和やかな話し合いのなかで、ペナントを頂き、記念撮影をしました。ありがとうございます。 |
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阿南市役所玄関で記念撮影する平和行進団 |
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行進は、市役所玄関で記念撮影をしてから出発し、市街地を周り、市役所に戻りました。合併前は、旧那賀川町と旧羽ノ浦町の方も行進したそうです。そのときは、阿南市役所で昼食をとり、向かったそうです。当時の思いで話しも出て、懐かしがっている人もありました。
今日の地元新聞を見ますと、昨日、県が決定した「小松島港への米艦艇寄港」の経緯を伝える報道はなく、米海軍のコメント「徳島を知る機会楽しみ」との見出しで、「乗組員は社会貢献活動やスポーツイベントへの活動参加のほか、地域の歴史や文化を学べる特別な機会となる徳島への寄港を楽しみにしている」と、掲載するだけした。ボランテア活動か、観光旅行のようです。
昨日の寄港決定は、昨日の夕刊に掲載しただけです。この取り扱いを見て、県の寄港決定を重要事項とみず、米兵の動きの方を重点にしていると思いました。おそらく、入港後の米兵の動きの方は、写真つきで大きく報道するでしょう。
それでは、日米友好の表面だけが強調されてしまい、米海軍が横須賀を母港にしている本質や、原子力空母の配備、座間基地に米陸軍第1軍団の司令部を置こうとする、在日米軍基地再編強化の意図など、カモフラージュされてしまうと、心配します。
アメリカのイラク攻撃では、横須賀所属の艦船から第1撃のトマホークを発射しました。その事実をみても、横須賀の第7艦隊は日本を守るではなく、米国がアジア、太平洋、アフリカの東海岸までもにらんで、出撃する艦隊です。その艦船が徳島県に来るのです。
今日の参加者は26人で、3.5q歩きました。阿南市の市長さんと議長さんから、ペナントと募金を頂きました。 |
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