竹田昭彦日誌(#79)7月23日(月)


〈短冊に平和の願いを託す〉

竹の小枝に結んだ短冊
 今日の行進は、総社市、倉敷市、玉野市です。
 やっと梅雨があけ、夏型の青い空・白い雲です。点在する雲は、積乱雲にかわり、陽ざしが強く、汗が噴き出し、イッキに夏がやってきました。気候の急変に、身体が追いついて行けず、バテました。夏日が2、3日続けば、なれてきます。
 朝の出発集会をした、おかやま市民生協の総社東店には、青竹の小枝が何本も準備されていました。何をするのだろうと思っていたら、平和行進へ託す願いを短冊に書き、結ぶのでした。その場で、私も書きました。そして、行進に入ると、店や家をまわり、短冊をいただいていました。
 2週間ほど前から、短冊と平和行進のポスター掲示を、セットでお願いしていたのです。行進しながら折り鶴をいただくのは、何回もありましたが、短冊をいただくのは初めてです。
 自称「県内通し行進者」だという小3年の「北条りき」君は、夏休みに入り、今日はお母さんとの参加です。昨日から、ハンドスピーカーでのシュプレヒコールのリードが大人から「認知」され、上手になりました。訴える項目も、「こんにちわ へいわこうしんでーす」から幾つか増え、「ぼくたちは せんそうがきらいでーす」も、加わりました。みんなのアイドルです。
シュプレヒコールをリードする小3年生
 午後3時過ぎ、幹線コースの行進が倉敷市の真備支所で終わると、県内通し行進者の谷口朋子さんと私は、玉野市へ車で移動しました。夕方5時半からはじまる、玉野市の網の目平和行進への参加です。
 出発式では、参加者の主な団体の9つが決意表明するなど、熱気が伝わってきます。行進は、市役所周辺と宇野港の繁華街を、50人前後で約3q周回しました。
 かって、宇野港は、本州と四国を結ぶ交通の要でした。宇高連絡船は、瀬戸大橋に取って代わってしまいました。連絡船と連結する遺構の保存もなく、寂しい感じがしました。
 「シャッター通り」(?)になった「宇野港銀座」商店街の入口には、「“歓迎”海上自衛隊」の大きな横断幕が張られ、自衛艦の名前が列記されていました。自衛艦の入港が、活性化の頼みのように見えました。
 これを見て、正職につけない若者は、「自衛隊が頼り」のようにダブってみえました。若い人が正職につけるように、派遣労働者の廃止などの政策を、政府がとらないのは、戦争をするために、自衛隊の予備軍を増やそうとしているからだと、思えてなりません。
 今日の行進参加者は、各区間により40〜60人でした。歩いた距離は14.5qです。
 総社市役所訪問では、市長さんと議長さんから歓迎と激励の挨拶をいただきました。総社市清音支所と倉敷市真備支所訪問では、各支所長さんから歓迎と激励の挨拶をいただきました。玉野市役所訪問では、市長さんと議長さんの各代理の方から歓迎と激励をいただきました。