〈日向市の「学童集団疎開記念碑」を見て〉
今日の行進は、日向市、門川町です。早朝の7時15分、県原水協の毛利さんの運転する宣伝カーで宮崎市の宿を出て、北の日向市へ向かいました。2時間ちかくかかり、市役所に着きました。
「浦添国民学校学童集団疎開記念碑」と「碑文」=日向市役所 |
碑文には「二度と学童疎開が起こるような戦争をしてはならないことを心に刻み その実相を後世に伝えてゆき 世界の恒久平和を願い」建立した(2001年10月20日)、と刻んでありました。
沖縄県からの学童集団疎開は、「沖縄の陸上戦を見込んでの疎開」だったと言われています。学童疎開船の対馬丸が米軍の魚雷による沈没で、何百人もの学童が、死亡する悲劇も起きています。
戦争は、疎開を強制し、悲惨になるばかりです。私も1944年4月(3歳)、東京から山形へ疎開しました。疎開先で父の戦死(7月)を知らされ、間もなく弟(第4子)が生まれました(8月)。
母にとっては、夫の出兵、幼子3人を連れての疎開、戦死の知らせ、葬儀、出産と続き、どんな思いで生き抜いたのだろうか。
このことを、出発集会の通し行進者挨拶で話しました。そして、戦争も核兵器もない平和な世界を訴え、広島へ歩く決意としました。
年配のご婦人から、「お母さんは苦労しましたね」と声をかけられました。
行進は、日向市役所から門川町役場までの7㎞でした。参加者は延べ24人です。
なお、日向市役所の出発集会(10時)では総務部長さんから、門川町役場の到着集会(12時過ぎ)では町長さんから、歓迎の挨拶と、募金、署名をいただきました。
午後は、「コープみやざき日知屋店」で署名行動(参加者5人)をし、1時間半で124筆もらいました。