<竹田昭彦日誌(10)6月14日(土)>
倶利伽藍峠越えて富山県から石川県へ
倶梨伽羅峠を下る反核平和マラソン
6月14日、富山県行進の最後の日です。
10時、小矢部市役所を60人の隊列でスタートし、県境の天田峠へ向かいました。
途中、2ヶ所で署名と募金活動を行い、224筆と23,330円をいただきました。
参加者一同に力が入り、短時間で大きな賛同になりました。
天田峠越えは、倶利伽藍トンネルを車で通り抜け、出口から歩きました。トンネルが開通する以前は、峠の頂上の県堺で引き継いだそうです。今は、トンネル出口から300m先の石川県側の広場です。
広場へ12時に着くと、大きな拍手と歓声で迎えられ、引き継ぎ集会が開かれました。
富山県行進団を代表して挨拶した、小谷一郎実行委員長は、「今年の行進参加者が延べ993人、署名合計2,079筆、募金合計235,215円をいただいた」と、報告されました。
石川県の行進スタート=津幡町
昨年より多い数だそうで、嬉しく思いました。
富山のみなさんと別れる時になると、辛い思いになりました。何日もご一緒した、いろいろな場面が頭を駆けめぐっていたからです。年配の方たちにも、若い方たちにも、たいへんお世話になり、ありがとうございました。
石川県の行進は、富山県から引き継がれると、直ちにスタートしました。
富山県内を走って通した反核平和マラソンのランナー達は、倶梨伽羅峠を走って越えたそうです。反核平和マラソンも、平和行進とともに石川県へ引き継ぎました。
走ってきたランナーの中には、私の知り合いの方が何人かおられ、激励の握手を交わしあいました。
富山県には、マラソン大会出場で7、8回来たことがあります。最初に走ったのは、83年11月3日の「北陸高速自動車道開通記念マラソン大会」で、魚津ICから黒部方向を往復しました。余談になってしまいました。
富山から引き継いだ石川のランナー達は、引継ぎ集会の終了を待たず、小雨模様の中を元気に走って行きました。
石川県の行進は、引継ぎ場所から12時50分にスタートし、途中で車移動や中津端駅周辺で署名と募金活動をして、16時から開かれた津幡町役場の歓迎集会で締めくくりました。
津幡町役場では、休庁日にも関わらず、町長さん以下10数人の職員の歓迎をうけました。
石川県の第1日目の行進で、大きな励ましをいただきました。
今日の富山県側を歩いた距離は3.4kmです。富山県内を歩いた行進距離の合計は、69.7kmです。
石川県側を歩いた距離は、4.8kmでした。