竹田昭彦・日誌(#01)・6月03日(日)    
沖縄連帯のつどい
米軍基地は いらない

不屈館見学する筆者=2018/06/03、那覇市
沖縄連帯のつどい=2018/06/03、宜野湾市・沖縄コンベンシュンセンター
沖縄と連帯を訴える神奈川県の鹿子木徹さん
=2018/06/03
不動産屋の看板=2018/6/03、那覇市
 今日は、名護市で開かれる「沖縄連帯のつどい」(主催=全国革新懇、沖縄革新懇、共催=安保破棄中央実行委員会、沖縄県統一連)に参加です。
 当初の「沖縄→広島コース」出発は、今日でしたが、つどいがあることから、出発を明日に延期されたからです。
 天気は、梅雨に入った沖縄は蒸し暑く、午前が曇で、午後に雨が降りました。
 午前、沖縄県原水協の佐事安夫事務局長の案内で、那覇市の福州園と不屈館を見学しました。
 福州園は、那覇市と中国福建省の福州市が友好都市であることが縁で、建設された中国風庭園です。福州産の資材などが使われており、太湖石もありました。明清代には、福州に琉球館が設置され、琉球王国との交易が盛んでした。
 庭園の湖(池)の鯉に餌をやると、群れをなして集まってきました。お腹をすかしていたようです。
 不屈館は、那覇市長に当選(1956年12月)した瀬長亀治郎さんを、米軍が在任11か月で追放するなど、米軍の弾圧に屈せず、戦争反対を貫いた瀬長さんの生涯の資料などを展示したものです。
 投獄中(立法院議員中の1954年10月人民党事件で投獄)に、小学校4年生の娘ちひろさんが出した手紙を、米軍は翻訳して本国に極秘で送った実際の資料を見て、驚きと、怒りがこみ上げてきました。手紙は、お父さんの体の気づかいや、勉強の様子などを書いた子どもの日常的な視点です。
 午後、宜野湾市の沖縄コンベンションセンターで開かれた「沖縄連帯のつどい」に参加しました。
 つどいは、2月の名護市長選挙の現職稲嶺進候補落選や、政府の強権な辺野古新基地建設埋め立ての動きに、今後どう対応するか、展望を解明して確信を深めることでした。
 オール沖縄の各界代表の連帯挨拶や、県外の代表の連帯と激励、共産党志位和夫委員長の講演がありました。
 つどいでは、埋め立て工事にについて、大浦湾の海底地盤が軟弱で、ケイソン投入不可能なことが判明され、県知事の新たな地盤改良工事認可が必要と解明されました。
 その上でも、11月の知事選で現職翁長雄志知事の再選勝利が大きな山場になると、各氏から強調され、志気が高まりました。
 私の住む神奈川県は、沖縄県に次ぐ米軍基地があります。総数14か所です。
 とくに、横須賀港は原子力空母の母港になっています。そして、在日米海軍の司令部があります。
 また、キャンプ座間(座間市、相模原市)には、在日米陸軍の司令部があります。
 両基地とも、朝鮮戦争の国連有志連合軍の米国基地になっており、国連旗、米国旗、日の丸が掲げてあります。
 何時でも、朝鮮半島が有事になれば、核戦争の基地になりかねない、たいへん危険な基地です。
 オールジャパンで「米軍基地はいらない」運動にしなければと、強く感じるつどいでした。
 那覇市内の不動産屋の看板には、軍用地売買が書いてありました。
 米軍の軍用地にされた私有地の売買です。農耕地などだった所は、営農の収入よりも、基地補償費の方が安定的な高い収入になるようです。
 そのことから、財産相続などでもめごとが多発したといわれます。嫌気をさした地主たちは、基地返還による新たな経済発展を目指すようになったそうです。
 そして、オール沖縄で「米軍基地はいらない」運動になった、一面を知る看板でした。

 
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