竹田昭彦日誌(#46)7月20日(土)
〈 鳥取から島根へ引継ぐ 〉
 鳥取県から島根県へ引き継ぐ日です。
 鳥取側は、伯耆(ほうき)町の行進と役場訪問、米子市の行進です。
 島根側は、引き継式のみです。
 8時50分、伯耆町の溝口観音堂前で出発式を開き、教育長から激励の挨拶をいただき、鳥取最後の行進が出発しました。
出発前の記念撮影(左から)鳥取県東部・中部通し行進者天木孝弘さん、西部通し行進者新庄祐一さん、筆者=伯耆町溝口観音堂
 鳥取県内の通し行進者は、東部と中部地区を天木孝弘さんが、西部地区を新庄祐一さんが歩かれ、全県をリレーしました。お二人とも、長年、県内の通し行進者をしています。今日でお別れです。
 10時40分、伯耆町役場訪問では、町長からのメッセージが披露(総務課長代読)され、議長からの激励をいただき、同町名水のペットボトルをいただきいました。町内に、米国の大手飲料水メーカーの工場があり、全国的に販売されています。
庁舎内での休憩中、議長さんに水源をめぐる町の税収入について、ざっくばらんな話を伺いました。飲料メーカーは、地下水を利用しており、地下水には町の水利権がなく、税金が入らないそうです。例え、「1トンあたり1円でも入れば」、凄いですね。
 午後3時、米子市文化会館前で、鳥取生活協同組合の「ピースリレー」の人たちの行進と合流して、連帯の集会を開ききました。私の挨拶で、戦没者の遺児であることを話しますと、生協の方の挨拶でも、祖父が戦没者(シベリア)で、父の誕生の知らせが届かなかった話をされました。「ピースリレー」の人たちには、若い方が多かったので、戦争の悲惨さが伝わったと思います。
引き継ぎで「竹田昭彦さん」の名前を掲げ迎えられる=米子市錦海団地西入口
 午後3時45分、引き継ぎ式が県境の鳥取市の錦海団地西入口で開かれました。
 引き継ぎ場所へ着くと、「歓迎 竹田昭彦さん」と書いた模造紙を掲げて迎えられ、緊張するとともに、嬉しくなりました。
 式は、スムースに運び、無事、島根県へ引き継ぎました。参加者は、総勢約50人です。
 鳥取県の行進中には、大雨注意報発令の日もあったが、行進中止やカッパを着用することなく、ラッキーでした。
 今日の昼食は、鳥取市の永江で、カレーライスや漬物などでした。網の目コースで南部町を行進してきた人たも合流し、それぞれ長距離を歩き、お腹がすき、食べるスピードが速かったです。
 毎日の昼食は、新日本婦人の会地域支部・班の会員たちが、農家などから食材提供の協力もいただき賄われました。昼が楽しみで、おかわりしていただきました。
 延べ、12日間お世話になった鳥取県の皆さん、ありがとうございました。
 今日の鳥取県の行進は、参加者20人前後で、午後3時45分まで歩きました。歩いた時間は4時間45分で、29,345歩でした。距離は、20q弱だと思います。