竹田昭彦日誌(#79)7月26日(月)
〈 行進中のシュプレヒコール考2 〉
 今日は、行進がないので、東京原水協の事務所へ行き、世界大会参加者の資料づくりを手伝いました。 
ある県で宣伝カーの車窓から拳を出し、シュプレヒコールの音頭を取るアナウンサー
 竹田昭彦日誌(#74)7月21日に続き、シュプレヒコールの件を考えてみます。
 昨日、東京の行進に参加しますと、シュプレヒコールを多用していました。宣伝カーにアナウンサーが2人乗り、1人はシュプレヒコールを担当していました。
 シュプレヒコールをしたときの、通行人の様子を見ていますと、かん高い声を出しているのは「どんな人だろう」と、音源のアナウンサーをチラリと見る人が多いです。行進の趣旨を知ろうとするよりは、かん高い声が気になっていました。
 そのようなときに、「平和こうしんでーす」と手を振っても、賛同の表情は示されず、にらまれることもあり、手がすくんでしまいました。
 とくに、「命令調」のシュプレヒコールは、語尾に力点が入ります。それを、3回繰り返す場合もありました。
 行進者の戦闘性を強めるのには、よいかも知れませんが、市民の共感と賛同を得るのとは、離れていると思いました。
 埼玉県の鴻巣市、北本市、桶川市の行進で、シュプレヒコールを止めた話は、5月の国連NPT再検討会議の要請行動へ参加した市議の人からありました(桶川市役所での昼休み報告会)。5月2日のニューヨーク1万人パレードに参加してみて、各国のパレード参加者と沿道の市民が一体となった雰囲気にヒントを得たそうです。
 歌、踊り、鳴り物などを繰り出しての核兵器廃絶アピールに、市民の共感と賛同があったからです。
 核兵器廃絶運動は、世界の市民運動が大きな流れとなって、各国や国連を動かす新たな時代となりました。平和行進のスタイルも、新たな時代になるでしょう