竹田昭彦日誌(#48)6月27日(金)
誇りの平和モニュメント 新居浜市
新居浜市のペナントをマトイ結んでいただく
 今日は、四国中央市と新居浜市の市役所訪問と、新居浜市内の行進です。
 四国中央市は、愛媛県東部の2市1町1村が合併し、2004年4月に生まれた新市です。四国の瀬戸内海側の中央部にあり、かつ4県が接しているので、名付たようです。四国4県を走る高速道路は、四国中央市で繋がっています。
 四国中央市役所訪問では、6月議会で「原爆症認定制度に関する意見書」を採択した報告がありました。原爆被爆パネル展については、検討する旨の返答をいただきました。今年の2月には、平和市長会議に加盟しています。
 新居浜市役所訪問では、要請前に参加者たちの打ち合わせがありました。10余人の参加で、詳細な意見交換がありました。要請の流れが事前に分かり、よかったです。お聞きしますと、これまでの経験からヒントを得て、初めて開いたそうです。
 要請に移ると、新居浜市でも、6月議会で「原爆症認定制度に関する意見書」を採択した報告がありました。同席していた被爆者代表が、お礼の言葉を述べました。各自治体からの意見書は、政府を動かしています。
 新居浜市の市民部・市民活動推進課には、平和推進係りがありました。その係りのご婦人から、「新居浜市」と書いたペナントをマトイに結んでいただきました。新居浜市も、この4月に平和市長会議に加盟しています。
 
新居浜市の「核兵器廃絶都市宣言記念」塔
 市庁舎前の中央公園には、モニュメント「核兵器廃絶都市宣言記念」塔が建てられてありました。5、6mの高さです。上部には鳩を、中間部をカラーで森や山をデザインした絵があり、ユニークなものです。碑文には、宣言文と経過が書いてありました。1957年(昭32)に「永久平和都市宣言」、1984年(昭59)に「核兵器廃絶都市宣言」をしています。全国でも、早い時期の取り組みです。その経緯を、市の人たちは何度も話していました。誇りにしているのです。
携帯用スピーカーでシュプレヒコールの音頭とる=新居浜市
 行進では、携帯用スピーカーの音頭で、「核兵器をなくそう!」等のシュプレヒコールを繰り返しました。
 かって、別子の銅鉱山で鍛えられた労働運動の歴史を受け継いでいると感じました。
夜は、歓迎夕食会を開いていただきました。昨日の行進に参加された明星夫妻も出席されました。皆さんから激励をいただき、ありがとうございます。昨夜で、松山市の宿は終わりました。延べ9泊しました。松山城の下に居ながら、見学しないで終わりました。26日の上島町訪問からの帰路、船上から見る松山城は、ビル群に負けじと背伸びしているようでした。そのむかし、海から見る松山城は、まさにシンボルだったに違いありません。お堀の水は、海水を利用しています。
 今日の行進は、参加者約45人で3.5q歩きました。四国中央市長さんと同議長さんからは募金を、新居浜市長さんからは募金とペナントを、同議長さんからは募金をいただきました。