竹田昭彦日誌(#22)6月01日(日)
宿のすぐ上が高知城
高知城の追手門と天守閣
 今日は、大川町、土佐町、本山町、大豊町の行進です。
 今朝、宿を出たら、車道に車が何10台も駐車しています。これまで見ない光景です。乗っていた人に、「何があるんですか」と聞きますと、返答がありません。再度聞いても、返答がありません。「不安」に思い、引き下がりました。その後、分かったてきました。宿の近くで、毎週日曜日に日曜市(街路市)があるのです。
行進が終わってから、帰路に案内してもらうと、高知城の追手門前の大通り(追手筋)で、野菜、海産物、日用品などの出店が1q以上も続いていました。なんと、街路市は元禄3年(1690年)から続く300年の歴史です。今朝、「不安」に思ったのは、変な「おじさん」に質問されたドライバーさんだったのです。日曜市の日は、周囲の車道の1部が一方通行と変り、道路半分が臨時の「駐車場」になる仕組みです。そもそも、宿前の小山に、高知城があると分かったのは2日前です。失礼しました。
 高知城は、国宝指定の時期があったが、現在は重要文化財になっています。
諸霊鎮魂・親水の碑=大川村
 大川村の行進参加は6人でした。昨年は3人だったそうです。平和運動は、直ぐに成果を生みません。ねばりです。3日前、大川村を訪ねたときに見た「米軍戦闘機墜落現場」(平和委員会の看板)近くに、「諸霊鎮魂親水の碑」(2001年建立)がありました。碑文には、ダムの湖底に沈んだ旧村を鎮魂するとともに、「米海軍の戦闘機が厚木から岩国へ訓練飛行中この湖水に墜落し搭乗員2名の霊が湖底に眠る」と、刻まれていました(英文もある)。米軍の飛行訓練を、非難する文面はありません。これを見たとき、鳴門市行進で知った、「坂東俘虜収容所」のドイツ兵と市民の交流を思い浮かべました。死亡した搭乗員に配慮したのでしょう。
 他国へ侵略し、支配する国は、自国の国民をだまして兵隊にかり出し、「英雄」に教育して他国の国民を犠牲にするとともに、自国の国民も犠牲にします。その上、自国の犠牲者を「英霊」だとだまします。
子供たちと土佐町を平和行進
 土佐町、本山町、大豊町の行進には、親子5人が参加しました。子どもたちの賑わいと、大人たちの注意する声が飛び交いました。幹線道路以外の道では、行進団が手を振ると、手を振って応える人が多くありました。行進に力が入ります。
 大豊町には、日本一大きい杉の木と、そのそばに美空ひばりの歌碑があります。ひばりは9歳のとき(昭22年)、この町で乗っていたバスの転落事故にあいました。幸いにして、九死に一生をえました。その時ひばりは、日本一大きい杉の木のように、日本一の歌手になることを祈願したそうです。もし、不幸にあったら、ひばりの生涯は違っていたことでしょう。
 今日の参加者は6〜10人で、6.5q歩きました。