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竹田昭彦日誌(#15)5月25日(日) |
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〈 徳島から高知へ引き継ぐ 〉 |
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高知県へ向う徳島県平和行進団=海陽町 |
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今日は、徳島県から高知県へ引き継ぐ日です。
徳島市の宿を8時10分に宣伝カーで出て、集合場所の海陽町へ向かいました。2時間かかって集合場所の海陽町宍喰温泉「道の駅」に着きました。ちょうど、朝市が開かれており、好い臭いがしています。鯵、鯖、イカなどを焼いて試食をすすめ、魚類や野菜を売出しをしていました。焼いているおじさんたちは、お客が買わなくても、イヤな顔をせず、どんどんすすめていました。それをよいことに、しっかり食べました。このあたりのリアス式海岸は、魚が豊富にとれるようです。景色がよく、地中海のリベエラ海岸(イタリア)のリゾート地に似ているそうです。
10時半、「道の駅」で出発集会を開き、県境へ向かいました。 |
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リレー横断幕を徳島県(左側)から高知県(右側)へ引き継ぐ=東洋町甲浦 |
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宍喰川を渡り、水床トンネル(600余m)をぬけると、県境の引き継ぎ場所です。
12時から、総勢約60人の参加で、引き継ぎ集会が開かれました。両県の代表者のあいさつがあり、続いて私も挨拶しました。私は、徳島の行進で霊場の住職さんに「非核日本宣言のよびかけ」への賛同署名をお願いをしたこと、太平洋戦争で死んだ日本の方々310万人、アジア太平洋地域で亡くなった方々2千万人の冥福をお祈りしたことなどなど、「ありがたい行進でした」と、報告しました。
リレー横断幕と私は、無事に徳島県から高知県へ引き継がれました。 |
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高知県の平和行進がスタート、中学生(左から2人目)が飛び入り参加=東洋町 |
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引き継ぎ式が終わると、直ぐに東洋町の行進に移りました。行進を、船着場の波止め壁に座って見ていた男の子たちに、「平和行進でーす」と声をかけ、「一緒に歩きましょう」と話すと、1人の子(中学1年)が勢いよく飛び降り、歩きました。私が持っていた「平和遺族会」の旗を持ちたいと仕草するので、渡しました。気風のよい漁師さんの息子さんでしょうか。「原爆を知っているか」とか、「原爆を落とされた広島まで歩いて行く」とか、話しますと、分かっていました。正義感に燃えている様子です。今日の中学生の1歩は、彼の人生の1歩、2歩になることでしょう。
東洋町行進のあと、宣伝カーで移動しながら、北川村と馬路村を行進しました。馬路村を行進できたことは、思ってもない喜びです。馬路村へは、村主催の「おらがむら心臓破りフルマラソン」参加で、1992年から11回きています。いつも泊まった井上旅館を訪ねますと、おじさんも、おばさんも元気でした。ビックリするやら、喜んでもらえるやらでした。行進で前を通ると、いつまでも手を振ってもらいました。平和行進のおかげです。
最初に来たときは、私がフルマラソン完走100回目の達成で、妻が1回目の達成でした。そのニュースがテレビで全国放映され、妻は大喜びでした。
今日の海陽町の参加は約40人で、3q歩きました。これまで、徳島県で私が歩いた行進距離の合計は45.5qです。高知県側は、約20〜10人前後の参加で、東洋町、北川村、馬路村を延べ4.5q歩きました。
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