竹田昭彦日誌(#37)6月11日(月)


〈愛知県から岐阜県へ引継ぐ〉

閉火式の祭壇と「原爆の灯」=犬山市、めいきん生協いぬやま店駐車場
 今日の行進は、午前に江南市と犬山市です。午後は、愛知県から岐阜県へ引継ぎ、各務原(かかみはら)市の行進です。
 そして今日は、5月31日に静岡県から愛知県へ引継ぎ、豊橋市の桜丘高校で分火してもらった「原爆の灯」を、閉火する日です。
 犬山市で行われた閉火式は、とても印象的でした。音楽が流れ、「閉火の詩」が朗読され、参加者全員(約150人)で「原爆を許すまじ」を合唱するなか、おごそかに被爆者の手で閉火しました。
 宣伝カーを背景にした祭壇も、平和行進を象徴する感動を覚えました。
 「原爆の灯」の由来と意味を、ピースコールのマニュアルから引用します。

 [この火は、1945年8月6日、広島に原爆が落とされたとき、福岡県星野村の山本達夫さんは広島市内で本屋を営むおじさんを捜しに市内に入りました。ところが、おじさんの姿はみつからず、焼け跡で燃えていた「火」をおじさんの形見として、カイロに移し、村へ帰ってからも、家で灯し続けたのです。やがて、その火は、「うらみの火」から平和をねがい、核兵器廃絶を願う火として、村で灯し続けるようになりました。このことを知った桜丘高校の生徒や地域の人たちが、1986年、星野村から「火」をわけてもらい、「平和の火」として桜丘高校で灯し続けています。私たちは 被爆者の核兵器廃絶のねがいを この火に託し、行進の先頭にかかげ歩いています。]

木曽川を渡って岐阜県へ向かう「あいち平和行進団」=犬山市ライン大橋(左上が犬山城)
 愛知県内通し行進者を11人だした年金者組合は、組合員の参加者が延べ400人を超えました。目標達成です。参加した組合員が黄色い布に名前を書くのを、毎日みている通し行進者団長の西岡久男さん(年金組合員・74歳)は、にこにこしておられました。
 私が所属するマラソンクラブ(フル百回楽走会)会員の繁沢政典さんも、年金者組合員の1人として県内通し行進をされました。そして今日は、犬山市在住のフル百回楽走会員の人も行進されました。嬉しい限りです。繁沢さんは、毎日、署名と募金活動に、小走りで活躍していました。お疲れ様でした。
 今日の行進参加者は、愛知県が区間により80〜150人です。歩いた距離は8qでした。私が愛知県内を歩いた距離の合計は、183.6qです。東京からの総計は、539.5qになりました。
 岐阜県の行進は、約100人の参加者で3.6qです。